学問のすゝめ

福沢諭吉の有名な
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
ですが、
恥ずかしながら続きがあることを知りませんでした

 

天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといへり

されども今廣く此人間世界を見渡すにかしこき人ありおろかなる人あり貧しきもあり冨めるもあり貴人もあり下人もありて其有様雲と坭との相違あるに似たるは何ぞや

されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり

 

 

全人間ランキング

小学生か中学生かの頃、
ひどく感銘を受けた言葉に、

 

その人間の価値とは、
その人の身体的特徴や性別や、過去に何をなしえたのかとか、社会的地位や立場などとは一切関係なく、
その人が今何を考えているかである

 

 

といったものがあった


もっと上手な表現だったのだが、もう記憶が曖昧になってしまい思い出せない

進研ゼミかなにかのちょっとしたコラム的な部分に書かれていたように記憶している

 

全ての人間に順位をつけて、それが可視化されないかな

みたいな妄想を中学生頃にしていた気がするが、

その時の順位の付け方は、いつもこれしかないと思っていた

 

今でもとても大事にしている言葉です 

歌丸

桂歌丸曰く、

 

ニ十歳を過ぎた人間にモノを教えることは何もない。ニ十歳を過ぎた人間は大人だ。ニ十歳を過ぎたら自分で気づくよりほかない。

 

褒める人間は敵と思え。教えてくれる人、注意してくれる人は味方と思え。 

 

修業は一生涯に及びます。ですから、辛抱もまた一生涯ということです。

 

だそうです

 

ギターはじめました

嫁さんが子供にかこつけて、ギター購入をせがんできたので、御茶ノ水で買ってきました

子供そっちのけで毎日練習している様子です

30半ばを過ぎて何かを始めるというのはとても良いことだと思います

隗より始めよ

相手に何かをしてほしい!と思った時に、

直接指示をするのが有効でない相手に対して、

どうすれば良いのか、ずっと分からなかったが、

 

まず自分がその行動を起こし、常にその行動をおこない、

(そして、それをアプールしても良いかも)

「背中を見せる」というやり方は、効果的かもしれない

 

こーやってやるんだよ

こーやってやっていこうよ

と実際に率先して進め方を見せてあげる

 

事前に周りの人に根回しが必要なら、先におこなっておく

 

自分以外の人間を自分の望む方向へ、誘導する方法として

とても良いかもしれない

ホリエモン

タイトルは「本音で生きる」だが、本音関係無しに、非常に大切な内容と思う

 

堀江貴文曰く、

 

本音で生きるために必要なことは、3つあると思っている。

1つは、「言い訳」しないこと
2つめは、「バランス」をとろうとしないこと
3つめは、「自意識」と「プライド」を捨てること



「言い訳」をやめる

本音で生きるために、まずやるべきは、「言い訳をしない」ということである。

僕はメルマガを含め、人から相談を受けることも多いが、せっかく答えても、「でも○○だから、それはできないんです」と言われることがかなりある。その「でも」が、自分自身を不自由にしていることに気づかないのだろうか。

たとえば、「お金がないからできない」という言い訳。

いまや熱意とやる気があれば、お金や人を集めることは不可能ではない。たとえば、クマムシ研究家の堀川大樹さんは、有料メルマガ、LINEスタンプなどをつくって、自分自身で研究資金を稼ぎ、自分のやりたい研究を自由にできる環境を作り上げている。

そもそも疑問に思うのだが、「お金がないからできない」と言っている人は、いったいいくらのお金があればできるのだろうか。お金が問題ではない人も多いように感じるのだが。

「時間がないからできない」という人もよくいるが、成功する人には時間があって、成功しない人には時間がない、なんてことは当然ながら、ない。「時間がない」というのは、「それを始めると今やっている何かをやめなければならないが、それができない」ということなのだろう。

しかし、世の中はトレードオフだ。時間がないなら、どちらかに決めなければならない。むしろ、「何かをはじめるなら、何かを捨てなければいけない」ということは、当たり前のことだと知っておくことだ。

「自分には才能がないから」といって、行動しない人もいる。しかし、どんな功績を挙げた人でも、その人の努力によるところが、ないはずがない。僕だって、才能があるかどうかといったら、別にそこまですごい才能があるとは思わない。

結局、「自分は凡人だから」と言ってしまった時点で、「自分は今のままでいい」「努力したくない」と言っているようなものなのだ。そもそも、才能なんて、やってみないと、自分にあるかないかなんてわからないのではないだろうか。それなのに、やってもいないのに「才能がない」とうのはまったくの勘違いだと思う。

「でも」「でも」と言い訳を積み重ねてきた上に、今の自分がいる。「でも」という縛りをとってあげるだけで、もっと自由に行動を起こしていけるのではないだろうか。



バランスをとろうとしない

「やりがいのある仕事をバリバリやりたい」が、「家族サービスのためのゆったりした時間も欲しい」。

「趣味の時間は今より減らしたくない」が、「もっと収入は欲しい」。

多くの人は、「バランス」をとろうとしすぎる。でも、それはちょっとずるいと思うのだ。

仕事も家庭も趣味も、なんでもかんでもいいとこどりで、バランスのとれた生活をしたいと言っておきながら、もっと時間を効率的に使いたいとか、チャレンジの多い人生を送りたいとか、人間関係で悩みたくないとか……。

それははっきりいって無理だ。

本当にやりたいことがあるのなら、バランスなんてとらないことをお勧めする。むしろ、極端でいいのだ。

やりたいことをする一方で、世間的にやるべきと思われている義務を果たさなければと考えてしまう人も多いだろう。

しかし、「こうでなければならない」という思い込みから抜けられなくなってしまうと、「バランス」をとることに必死になり、やりたいことも中途半端になり、体も壊してしまったりする。

そんなことで中途半端な生き方をするなら、最初から「バランス」などとらないほうがいい。



「自意識」と「プライド」を捨てる

最後は、「プライド」と「自意識」だ。

みんな自意識過剰なのだ。

でも、他人のことなんて、実は誰も気にしてはいない。僕だって、「わー、ホリエモンだ」とか言われて写メをとられることもあるが、せいぜい、その人が友人と夕飯を食べながら「今日ホリエモンと写メとったんだ」「へえ」と話して終わり。その場のニュースネタとして消費されるだけ。アメリカの大統領にしても、どんな有名人にしても、世間の関心など、せいぜいこの程度のものなのだ。

だから、「どう見られているか」など、気にしていても仕方がない。

むしろ「プライド」をなくすほうが、みんなから愛される。

年をとってくると、プライドがものすごく高い人と、全然なくなる人と二極化してくるように思う。

プライドがものすごく高くなって、気難しいおじいさんや、おばあさんを想像してほしい。こわばった表情のまま、ひとりでつまらなそうにしていて、誰も話しかけてこない。

「あーあ、かわいそうだな」と思ってしまう。「プライドをなくせば、もっと楽になれるのに」「そんなこと気にしなきゃいいのに」と。

「世間体が悪いとみんながついてこない」「こんな年収じゃ格好がつかない」などと思っている人もいるかもしれない。

大丈夫。プライドはなくなったほうが、みんなに愛される。確実にとっつきやすくなって、人が寄ってくる。

逆に「すごい自分でいなければいけない」とか「相手に嫌われたらどうしよう」と思って、プライドが高くなると、結論として、相手が自分の側に来づらくなる。あなたも、そう思わないだろうか?

結局、プライドの低いバカが、得をすることも多い。

プライドがないから、誰にでも声をかけられるし、なんにでも挑戦できる。

普通の人は「こんな有名人に声をかけたら、嫌がられるのではないか」「失敗したら、『できないやつ』だと思われるのではないか」と躊躇してしまう。要は、自分のプライドが傷つくのを恐れているのだ。

一方、プライドのない人は、恐れるものはないから、どんどん他人に声をかけ、どんどん挑戦している。挑戦してみてわからなければ、迷いなく誰かに尋ねる。

どちらが得をするのかは、明白だろう。中途半端に小利口な人は、グダグダ、グダグダ考えているだけで、何もできない。結局、「考える」ことができるほど利口じゃないけど、プライドはない人が、得をしているのだ。



「言い訳」しない。
「バランス」をとろうとしない。
「自意識」と「プライド」を捨てる。

3つ挙げたが、まず始めるなら「言い訳しない」がいいだろう。

言い訳をやめると、本当にすっきりする。すぐに動けるようになる。これだけでも、今からやってみて欲しい。

 

 

 

 

気をつけて

マザーテレサ曰く

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから

言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから

行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから

習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから

性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから

 

要は、思考に気をつけろってことやね

毒親

もし、親の言うことを全部聞いていたり、

親の機嫌を損ねるようなことができない自分がいたら、

本当に申し訳ないと思う

そうなってしまったのは、我々、親の責任です

 

貴方は貴方の人生を豊かに過ごす権利があります

親の言うことを全部聞く必要はありませんし、

親の機嫌を損ねても気にする必要はありません

親に対し怒っても、間違いを指摘しても、責めても、叱ってもOKです

親も間違ったことを言うことがあります、こうはなりたくない、と思ったら、

親を反面教師として成長してください

 

親が貴方にとってマイナスでしか無いのであれば、親なんて放っておいてください

そんな親になっていないと良いのですが

魚の釣り方

小学生くらいの頃、やたら感銘を受けた言葉が

旅をしていて、お腹を空かせた人に出会ったら、魚をあげるのではなく魚の釣り方を教えるべき

みたいな話だ
色々なバリエーションがあるみたいだけど

魚をあげても一時的な飢えはしのげても、旅人が去った後は飢えた人はまた同じ事を繰り返すのか?旅人が通りかからなかったら死ぬのか?魚の釣り方を教えてあげる方が長期的には良いよねみたいな話
浅はかであった私には思いつかなかった解答だった

今思えば、一時的しのぎ的な対応が必要な時もあるし、両方しても良いし、無視しても良いけど、
何度も会う人ならば教える選択が良い
身近であるほど、長期的に考えるべき
毎日会う人ならば一時的な対応はしない方が良い
魚をあげるほど双方にとってはマイナスの結果にしかならない
毎日魚をあげる人は決して親切な人ではない

身近な人が毎日魚くれ~って言ってたら、釣りの仕方を教えましょう

面白き事もなき世を面白く すみなすものは心なりけり

ハロイド作石「BECK」より

「ぼーっとしていたら 何事も無く、人生は過ぎていくんだ」

 

何か面白いこと起きないかな

何か楽しいこと降ってこないかな

素敵な出会いはないかな

と考えていても、可能性はゼロに近いと私は思う

そのままぼーっとしていると人生が終わってしまいます

本当です

 

自分で面白いことを探しに行きましょう

何十年探しても見つからないかもしれないけど、

それでも探さなければ可能性はゼロのままだ

 

面白そうなことを見つけても、中々最初の一歩が踏み出せないかもしれないけど

恥ずかしいことは、

失敗したり、かっこ悪かったり、人にバカにされたりすることではなく、

それらを恐れて何もしないまま、年をとってしまうことだと思う

 

それをするには自分はもう年だから、

このように自分の年齢を言い訳に最初の一歩が踏み出せない人は、

仮にタイムマシーンで10代に戻っても、何かしら言い訳をして踏み出さない

逆に、踏み出せる人は、年が幾つであっても、踏み出せる

と私は思う

 

「面白き事もなき世を面白く すみなすものは心なりけり」高杉晋作

 

今が面白くなかったら、それは自分のせいだ

遅すぎることなんてないので、今すぐ勇気を持って動き出すことだ

 

クーデターしちゃったのは凄いけど

人は変わらない ということはないかもしれない

すごく最近見た記事ですが、

 

「三つ子の魂100まで」は嘘だった! 14歳の時と77歳の時とでは“完璧に別人”であることが判明(最新研究)

以下、引用

 

エディンバラ大学の研究者らが心理学ジャーナル「Psychology and Aging」に掲載した研究成果によると、6つの基本的な性格特徴――自身・忍耐力、気分の安定性、誠実性、独自性、優越願望――を測定するテストを同一人物174人に対して1947年と2012年に行ったところ、驚くべきことに、どの特徴にも有意な共通性が無かったという。つまり、1947年当時14歳前後だった子どもたちは、65年後には完全に別人になってしまったのだ!

 具体的には、誠実性と気分の安定性においては“極めて弱い”繋がりしかなく、その他の特徴においては“完全に”繋がりが無かったという。研究チームのウェンディ・ジョンソン教授が今回の研究結果について次のように語っている。

「性格は短い期間では比較的変わりませんが、長い期間が開くと弱まることが分かりました。60年以上も期間が空くと、ほとんど共通点は見つかりません」(ジョンソン教授)
「一般的に青年期は、より不誠実で衝動的、気分屋で怒りっぽく、数年間は社交的になり、冒険したがります。それから、年齢を重ねるごとにこれらの傾向が弱まり、大人になっていくのです」(同)

 とはいえ、今回の実験に問題点が無いわけではなく、たとえば、サンプル数が少ないこと、質問項目が多岐に渡っていないこと、教師による評価のため自己評価できていないなどと指摘されている。研究チームはこれらの問題点を改善し、性格変化の仕組みのより深い理解を目指していくと熱意を見せている。

 

 

人は変わることができる 成長することができる

という、希望のある内容だと思う

TIME IS LIFE

人はいつか死ぬけど、やりたいことは山ほどあって、それら全てをやっている時間は無い
だから、何に時間をかけるのか、有限な時間を何に割り当てるのか、取捨選択をしなくてはならない

memento mori

自分の人生、有限の時間を使って何をするのか考えなくてはいかん